私は、運が良い方だ、といつも、なんとなく思っていました
今は、私は、ものすごく運が良い!と言えるのです
なぜ、そう思うのか?
振り返れば、思い通りにならないこともたくさんありましたがそれでも、私は運がよい!!と言えるのです
中学生の頃、壮絶ないじめにあいました
机に落書き、机の中の筆箱は破壊され、教科書は破られる
自分の背中に、「ばか、死ね」と書かれる
相手は、今でいう不良グループの子たち
擁護してくれた母は、不良グループの子たちに対して、あの子たちは、かわいそうな子たちなんだよ、と言いました
私をいじめる子たちのどこがかわいそうなのか?と思ったものでした
思春期ですよね、皆
いじめられるので、学校には行かなくなりました
けれど、クラスメイトが毎日、迎えに来ます
断るのが段々、辛くなり、学校に行くことにしました
その時、私はツイているな、と思ったものでした
毎日、クラスメイトが迎えに来てくれるなんて、感謝でした
学校を休んでいる間、母は、自由にさせてくれました
普段は見ることのできない、ワイドショーを見れたりして
これも勉強して学校にいるクラスメイト達は、見れないけど、私はラッキーと思いました
高校受験の時、先生からは「こんな成績では合格できない」と言われましたが
両親は、「やってみなければわからない、やってみろ!」と言ってくれました
おかげで、合格できました
本当にツイていました
中学時代から片麻痺の祖母の食事、排泄の世話をしていました
当時は、今のような紙おむつはありまんでした
ヘルパーさんが来てくれるサービスもありませんでした
家族で世話をするのが当たり前の時代
摘便したのを思えています
肛門に出かかった便を手で引っ張りだすのです
とっても良い便でした
私、摘便得意です
そのおかげで、将来の職業を母に看護師はどうなの?と言われ、看護学校を目指しました
勉強と介護を両立しなければならず、看護学校には合格しませんでした
両親は、祖母を介護させてしまったせいなのかもしれない、と思ったのか浪人させてくれました
これまた、ラッキーです ついているのです
介護から解放され、勉強できる時間をもらえた
そして、受からないかもしれない看護学校に合格、看護師人生が始まりました
病院の看護にギャップと限界を感じ、看護師を辞めようと病院を退職
父は、かなり怒りました
営業職を経験し、経営に興味を持ち、現在の看護師経営者になりました
病院勤務は3年しかありませんが現在の事業所運営状況にあるのは、当時、指導してくださった先輩方のおかげである、と感謝しています
看護師経営者となり、全国の看護師経営者の皆様と出会い、指導を頂き、お互いの成功を願い、励ましながらお付き合いいただいていることに感謝しかないです
そしてまた、若い看護師人財を育てる、と言うミッション
地域のために働かせていただける、ありがたさ
思い通りに行かなくても、その境遇のとらえ方、考え方なのではないかな、と思うのです
「運」は降ってくるものではなく、育むものなのだ、と確信しております